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闘い続ける意義を深めたインドネシア訪問

バンカ島―コトパン―コト・バルで調査と交流を深め、成果を得る!


 今回の現地訪問は、4月24日に日本を出発し、5月8日に帰国する14日間にわたる長期のものであった。滞在先はインドネシアの首都ジャカルタ、原発建設予定地の一つであるバンカ島、リアウ州の州都プカンバル、西スマトラ州の南部コト・バル地域などである。
 訪問の重点目標は、バンカ島訪問をスタディツアーとして成功させることと、コトパンジャン住民への支援体制強化を目指す「プカンバル会議」に参加することであった。

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バンカ島訪問ー高い放射線を放つスズ鉱滓の調査、原発建設反対運動と交流

 まず、バンカ島については、事務局員2名のほかにS夫妻が参加した。彼らはバンカ島のスズ採掘にともなう放射線問題に関心を持ち、高性能の放射線量計を持ってツアーに参加された。訪問先を北西部のムントックに絞り、2日間にわたってスズの採掘現場や鉱滓置場などの調査や原発建設反対派住民との交流をおこなった。

【写真:高い放射線に驚くバンカ住民】

 今回明らかになったのは、スズの精製過程で生み出される鉱滓が極めて高い放射線(数十μSv/h以上を記録)を発していることである。袋詰めされたその鉱滓は民家の庭に持ち込まれ、住民たちは何の防御もすることなく精製作業をしていた。また、大規模なスズの精製工場の周辺住宅では、3人の子供が甲状腺障害になり、自身も癌を発症したというジャワ出身の女性の証言も記録した。

 この問題については、ワルヒ全国執行委員やグリーンピース・インドネシアの役員に報告し、それぞれの組織でさらに詳しい調査を行ってもらうよう要請した。今後、住民の放射線被ばくが明らかになれば、この問題を放置したまま原発を建設しようとしている政府に対する責任追及の声が高まる可能性がある。

「プカンバル会議」−ジャカルタで提訴など支援のネットワーク確立へ

 次に5月3日に開催されたコトパン住民支援のネットワーク形成をめざす「プカンバル会議」について報告する。「住民闘争協議会」の要望を受け、支援組織のワルヒ・リアウが開催を呼びかけたこの会議には、第3回大会(於:タンジュン・パウ村)以降では最大数となる13か村の役員たち(25人)が参加した。そして支援団体は、ジャカルタのワルヒ全国執行委員会(2人)を筆頭に、リアウ州・西スマトラ州の支部役員、法律家団体のLBH やKBHリアウなどが参加し、総勢50人近くの会議になった。

 会議の冒頭、「支援する会」に発言の機会が与えられたので、裁判の状況報告(最高裁の決定まち)を行うとともに、コトパンジャン住民への支援ネットワークに加わり、可能な限りの支援を強化する旨の意見表明を行った。次いで、支援団体代表からのあいさつが続いたが、ワルヒ全国執行委員のムヌール弁護士からは、新たな裁判の提訴を中心とした運動方針の提案が行われた。質疑・討論では、住民代表たちから「日本の裁判に勝つために何をする必要があるのか」、「最高裁への署名はどれくらいの数を提出すれば影響力があるのか」、「インドネシアで新たに裁判を行う場合は、日本の裁判の結果が出てからか」などの質問が出された。

【写真:「プカンバル会議」で報告】

 約3時間の討議の結果、@日本の最高裁に影響を与えられるよう、7月末をめどに住民組織と支援団体が一丸となり公正判決署名の集中を行う、A9月を目標に移転地の第二世代以降の問題解決を求める提訴をジャカルタで行う、B国連人権委員会などへの申し立てを検討する、C住民生活支援の具体策(たとえば『マイクロクレジット』等)を検討していくことなどが全会一致で確認された。この会議の成功により、「住民闘争協議会」を支える幅広い支援ネットワークが確立された。


コト・バル地域訪問−コトパンジャンと共通する問題を確認

 最後に、コト・バル地域訪問について報告する。この地域には、円借款で建設されたガジャムンクル・ダム(1981年完成)のためにジャワ島中部のウオノギリ地域から移転してきた数万人の住民が居住している。コトパンジャンから片道400キロ以上も離れた遠隔地のため、2日がかりでも現地での滞在期間はわずか半日であった。そこで移転を経験した第一世代の住民夫婦から話を聞くことができた。証言の中で明らかになったのは、村単位で移住してきた数百世帯の村人全員が、ウオノギリでは移転地と同等の広さの宅地や農地を持つ自作農であったということだ。土地なし農民だから「喜んで」移転したのではなく、スハルト独裁政権による強制された移転であった。そして先住の人々(ミナンカバウ人)との土地をめぐる緊張関係が現在も継続していることや、約束違反(水路の整備遅れなど)で長期にわたって苦しい生活を余儀なくされてきたこと、さらに第二世代以降の生活問題(土地なし)に加えて、ジャワの伝統文化や習慣、言語の喪失などの深刻な状況が証言された。これらはコトパンジャン住民と共通する問題である。

 以上、バンカ―コトパン―コト・バル訪問により、「住民泣かせの援助」を追及し闘い続ける意義を深く肝に銘じることができた。

 今後の運動方針を再確認しておこう。

*さらに公正判決要求署名を集中しよう!
*8月の「原発輸出反対国際連帯シンポジウム」を成功させよう!
*9月のコトパン住民提訴を支援しよう!



※ 以上、「支援する会ニュース」61号(5月27日発行)の2〜3ページより転載(一部加筆)しました。


【フォトギャラリー】
 
【写真1】4/27撮影:ムントックの錫精錬工場の鉱滓ボタ山から約10mの距離の道路上、車中で測定 0.82μSv/h
 
【写真2】4/27撮影:上記の鉱滓のボタ山(放射線管理エリアである表示があるが、鉱滓そのものはの野積になっている。
 
【写真3】4/28撮影:場所はムントックの住民との交流集会が開かれた民家の大広間。そこの住民が自分の家で精製している鉱滓(工場からの横流し)を持ってきてくれた。あまりの線量にびっくり。
 
【写真4】4/28撮影:これが高い放射線を発生している鉱滓。住民たちは何の防護もせず、素手で扱っている。
 
【写真5】4/28撮影:このように鉱滓の袋は庭に無造作に置かれている。奥の建物が交流会が行われた場所。中央の子供のしょうがいが気になった。
 【写真6】5/3撮影:プカンバルのワルヒ事務所大会議室で行われた支援集会の様子。



コトパンジャン・ダム
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Last Update : 2014/7/15
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日本で初めてのODAを問う裁判

日本のODA(政府開発援助)によるコトパンジャン・ダム建設で、インドネシア・スマトラ島では23,000人がふるさとを強制的に奪われました。5,396人の現地住民が原状復帰と補償を求め、日本政府・JICA(国際協力機構)・東電設計(=東京電力グループ)を被告として、裁判中です。
 日本政府はODAの基本理念を「開かれた国益の増進」としています。「援助」とは名ばかりです。「国益」=グローバル大企業の利益のために、地元住民を犠牲にした「海外版ムダな公共事業」を行い、さらには原発までODAを利用して輸出しようとしているのです。
 「国益」のための「援助」、住民泣かせの「援助」はやめさせましょう。ぜひ、裁判にご支援お願いします。



(ダムの呼称について)

 インドネシア・スマトラ島の住民・自治体・マスコミは『コトパンジャン(Kotopanjang)』と言います。 
 一方、日本政府・インドネシア政府は本件ダムを『コタパンジャン(Kotapanjang)』としています。
 Kotoは地元ミナンカバウ語、Kotaはジャワ語でいずれも「町」を意味します。現地の言葉・文化を尊重する立場から、私達は『コトパンジャン・ダム』としています。